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還暦を迎え、これからの20年を旅行をして歩くための小遣い稼ぎです。

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食育は家庭の食事から

・・・・・一家団欒の食事してますか・・・・・


昭和30年代、6畳か8畳の畳の部屋に家族全員が折りたたみ式丸食卓を囲み、正座しての食事だった。

あぐら姿は父親、あとは全員正座。子どもの数は3人以上、そうそう父親はいつもおかずが一品多かった。

その一品がおいしそうでうらやましかったことを思い出す。

テレビはまだなかったから、ラジオを聴きながらだったろうか?ラジオを消していたのかはさだかでない。

当時のサラリーマン家庭に共働きはほとんどなかった。

母親はその日の出来事を報告、子どもたちの学校での出来事も入る。よい話しのときは、子どもも得意げに話しに割り込む。よくない話のときはうつむいていつ父親からお叱りの言葉が発せられるか、びくびくしながら早く話題が変わることを願った。

あの風景の中には、いま必要とされる全てのことが凝縮されていたような気がする。

食事は3食とも母親の手作り。冷蔵庫もなかったから、毎日竹編みのカゴを片手に近所に買い物にでかけていた。もちろん車などありはしない。

コンビにもなければ、冷凍食品もない。その日の食材をその日のうちに食する。いま考えるとなんとぜいたくなことだったのだろう。

地産地消そのものではないか。

みんなが貧乏であったが、家族の絆は強かった。

そういえば、醤油がなくなったからといって隣の奥さんが「お醤油かして」「お砂糖切らした」などと、隣近所の貸し借りはあたりまえのことだった。

ガスがなかったから、七輪で炭に火をつける時のウチワでのパタパタが懐かしい。

テレビも冷蔵庫も洗濯機もなかったのだから、母親たちも1日中忙しかった。

父親が持って来る給料袋を神棚に供え「ご苦労様でした」と労をねぎらう母親の姿をを見て、子供心にも父親の働きのお陰で自分たちが食することの出来ることを知った。
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  1. 2006/11/18(土) 18:26:13|
  2. 健康
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

親類から大ぶりの大根と白菜をいただいた。
まだ白菜や大根になじみがない(というか、苦手)な
うちの子供にどうやって食べさせよう?と悩むここ数日。。。そうだろうなぁ、いざ自分だってその昔は大根なんてうれしくなかったし。
ネットの検索ページでレシピ調査しているけれど、いいものが見当たらない!

最近は調理方法もずいぶん進化して、可能な限り
「お手伝い」させています。
でも、「炊飯スイッチのオン!」や「レンジのストップ!」とか、、、子供でもできることなのです!!
火だけは、遠ざけています。

かつては傷、しもやけ、青っ鼻、、、でしたが
今鼻水がでれば市販薬が簡単に手に入るし、そもそも風邪をひくような栄養失調状態がないんですよね!

、、、それにしても、白菜君と大根ちゃん、どうしようかな!?!
君たちをどうしたら食べてもらえるかな??
  1. 2006/11/19(日) 17:58:15 |
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  3. mikea #-
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